8月6・7日に「全国盲ろう教育研究会 第14回研究協議会」(主催:当研究会、共催:国立特別支援教育総合研究所、後援:筑波大学附属久里浜特別支援学校)を開催しましたが、来賓として出席し、開会式において挨拶いただいた国立特別支援教育総合研究所の宍戸理事長が、毎月発行の研究所「メールマガジン」に研究協議会のことに触れ、以下の文章を寄せていますので、掲載いたします。
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「慈眼妙手」
宍戸 和成(国立特別支援教育総合研究所理事長)
昔、聾学校を訪ねると、校長室や会議室で、「慈眼妙手」と書かれた古い
額を見掛けることが多かった。まだ、今のように機器も開発されていない頃、
耳の不自由な子どもたちが、手を巧みに操り、手話でコミュニケーションし
ている場面を、慈愛に満ちた眼差しで眺め、その可能性を伸ばしたいと思っ
ていた先生方の姿が目に浮かぶ。
先月の初め、研究所では、盲ろうの子どもたちの教育に関する研究会が開
かれた。目も耳も不自由な方たちにどのようにコミュニケーションを取るの
だろうと、通訳者と当事者との関わりを眺めていた。指文字を使ったり、簡
単なサインを用いた触手話を活用したりしながら、それぞれの当事者に即し
たやりとりを進めていた。10人ほどの当事者の方たちに加え、その保護者や
ボランティア、盲ろうの教育に関心のある先生などが、二日間で90名ほどが
参加し、総勢100名に及ぶ研究会だった。
盲ろうの子どもたちは、障害が重複している。意思の伝達や移動、日常生
活において、様々な支援が必要である。それを正面から受け止めて、関わっ
ている保護者の方々には、思いも寄らない明るさが見受けられた。恐らく、
障害に最初に向き合った時の様々な思いを自分なりに心の中で整理し、子ど
もの可能性を追求する気持ちをもたれたのだろうと推察する。
こうした姿を拝見しながら、「この子らを世の光に」という言葉を残した
糸賀一雄先生を思い出した。仲間とともに、知的障害の子どもたちの施設で
ある近江学園をつくられた方だ。図書室で糸賀一雄講話集「愛と共感の教育」
という小冊子を見付け、目を通した。
そこには、昭和43年9月に行われた最終講義が掲載されていた。予定時間
を20分も延長して行われた講義が終わる寸前に糸賀先生は倒れられ、翌日、
その生涯を閉じられたそうだ。その最後に訴えられたかったことが、「この
子らを世の光に」だった。
録音を起こした施設の職員は、先生の思いを代弁し、「この子ら(即ち、
知的障害の子どもたち)は、みずみずしい生命にあふれ、むしろ回りの私た
ちに、そして世の人々に、自分の生命のみずみずしさを気づかせてくれる素
晴らしい人格そのものであったのだということを(先生は)おっしゃりたか
ったのだろうと思います。」と述べている。
7月末に、神奈川県の福祉施設で忌まわしい事件が起こった。亡くなられ
た方のご冥福を祈るとともに、私たちはこの事件を決して忘れてはいけない
と思う。これまで先人達が共生社会を夢見て、障害のある人たちに慈愛に満
ちた関わりを行ってきたことも。糸賀先生の講演では、「親の愛は、無償の
愛」という表現もある。今回の事件で落胆された親御さん達の気持ちは、い
かばかりであろうか。そして、当事者の方々の不安も計り知れないと思う。
さらには、関係者の憤りも。生命を大切にすることは、当たり前のことだと
思う。
共生社会の実現のため、今一度、慈愛や無私の愛という先人の言葉を思い
出し、それぞれの持ち場で、子どもの可能性を追求していきたいと思う。