国立特別支援教育総合研究所が毎月、発行しているメールマガジンに理事長が全国盲ろう教育研究会第16回研究協議会の実践報告について書いていますので、以下に転載いたします。
「実践報告」 宍戸 和成(国立特別支援教育総合研究所理事長)
学校が夏休みに入り、七月の終わりから八月にかけて、研究所でも様々な研究協議会などが予定されていた。子どもにとっては、待ちに待った夏休みだが、先生方にとっては、自分なりに研鑽を積む絶好の機会である。しかし、今年は台風の襲来等で予定されていた研究協議会が中止になるなど、思い掛けないことがあった。それでも、幾つかの催しに顔を出す機会があり、そこで、改めて思い起こしたことがある。学校現場にいた頃、耳にたこができるくらい聞かされたことを。「事例研究の大切さ」についてだ。
ここのところ、毎年、盲ろう教育の研究会が、研究所を会場として開催されている。そこでの実践報告を聞いた。鹿児島県の離島で盲ろうの子どもが生まれた。その子が一歳の頃であろうか、テレビで取り上げられた。専門的な指導・支援をどのように提供するかという問題提起である。その後、その子と保護者は、鹿児島市にある視覚障害者を教育する特別支援学校へ定期的に通い、相談をするとともに、指導・支援を受けた。全国盲ろう教育研究会の方々も、定期的に離島を訪ね、家庭での関わり方について、直接、指導・支援をした。その子の相談や指導を担当した先生は、5年間にわたり、関わりの記録をとり続けた。この四月、離島にある特別支援学校の小学部一年生になったとのことである。
つまり、5年間に及ぶ関わりの記録を実践報告として、この夏の研究会で発表した訳である。まさに試行錯誤の連続である。記録していた映像を適宜盛り込み、指導の流れが紹介された。私が共感したのは、子どもの思いを必死で想像しているところだ。それが見事に当たる時もあれば、外れる時も。その姿は、「子どもから学ぶこと」と言い換えることもできよう。子どもの小さな反応から、様々なことを類推している。意思疎通の成立が、徐々に多くなっていく。5年間という歳月は、子どもと担当する先生の間に確かな繋がりを形成する。そんなことが分かる実践報告だった。
私が、昔、勤めた聾学校の小学部は、担任が3年間持ち上がることを原則としていた。高学年を二度、そして低学年を二度、それぞれ3年間ずつ担任した。持ち上がりはいいこともあるが怖いこともある。それは、自分の考えが子どもにしっかり伝えられる反面、自分の“色”も子どもに反映してしまう。でも、3年間じっくり子どもと付き合えることは、自分にとっていい勉強でもあった。ある時、先輩から「3年間指導しても、なかなか上手く育てられないこともある。そんな事例を紹介してみては?」と言われた。それで、3年間の指導経過を事例研究としてまとめたことがある。あれやこれやと苦心しても、なかなか子どもの言語力を伸ばすことは難しいという事例だった。それを通して、指導の難しさと醍醐味を体験することができた。その子とは、今は年賀状でのやり取りしかないが、家庭人として幸せに暮らしている。
指導事例は、学校現場だからこそまとめることのできる研究である。うまくいったことばかりではなく、なかなか思い通りにいかない実践事例についても、事例研究として実践報告することが大切だし、それを積み上げていくことが、回り道かもしれないが、今、特別支援教育において求められていることのような気がする。